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東海大学文学部文明学科アジア専攻西アジア課程(〜1997年度)、東海大学文学部文明学科西アジア文明コース(1998年度〜)に属する学生のうち、私のゼミ生で、卒業論文の評価がA以上であるものをすべて紹介しています。(2004年度卒業生=2001年度入学生からは学科名称はアジア文明学科に変わります。)
卒業論文の評価は、1999年度まではABCが合格、Eが不合格;2000年度以降は、SABCが合格、Eが不合格となっています。
私が、西アジア課程/西アジア文明コースで卒論を担当し始めたのが1994年度卒業生からで、「イスラーム以前」を志望する学生を担当する、というのがおおよその原則です----なお、1997年度までは古代エジプト関係は担当していません。ただし、これは原則であって、上記の秀作論文タイトルを見てもわかるとおり、イスラーム時代や現代をテーマに卒論を書く学生も少なくありません。(履修時間割の都合上、私のゼミに所属することになった学生も上記の中に含まれています。)
氏名は、プライバシー保護を考えて表示していません。
学生が何を学んでいるのか、秀作卒論を紹介することによって、理解してもらおう、というのがこのページの目的です。
A評価以上をすべて紹介するのは、評価の基準を明らかにするためです。もちろん、機械的に評価できるような論文内容ではありませんが、これくらいならA評価、という目安は立つでしょう。
文学部の学問ならどこでもそうでしょうが、卒論のテーマは学生自身が決めます。こちらからテーマを与えることは(とてつもなくできの悪い学生を除いて)ありません。
卒業論文がなかったり、(実質的に)他人が決めるような学部・学科では想像できないでしょうが、このテーマを決めるまでが大変です。はじめに考えていたテーマを資料(史料)不足から諦めた、その繰り返し、というような膨大な失敗の軌跡は、論文内容からはわかりません。その意味で、ここに現われている以上に、これらの論文を書いた人は良く勉強しています。
研究書・研究論文を読んで、それをまとめて自分の意見を付ければ、論文になる;そう思っている方もおられるかもしれませんが、大間違いです。
論文は、資料(史料)に基いていなければいけません。以下の紹介ページでも、どのような資料(史料)を基に論を進めているか、記すことにします。
資料(史料)収集を積極的に行なった論文の評価は高くなります。「文学部の学問」というと何か消極的なイメージを持たれている方もおられるでしょうが、積極性がなければ良い卒論はまず書けません。
「資料(史料)収集は積極的に、論理展開は慎重に!」を目指してほしいのですが、その逆「資料(史料)収集はお手軽に、論理展開は大胆に!」という人が多くて困ります。
私のゼミ生全体の比率からみて、イスラーム以前・古代の論文が相対的に少ないのは、やはり(学生が利用できる言語についても考慮した上での)良い資料が少ない、ということに起因するのだと思います。「憧れ」だけでは卒論は書けません。
「紀元前331年、アレクサンドロス大王はバビロンに入城した」という事実を知っていることが重要なのではありません。どのような資料・根拠から、上のようなことが言えるのか、理解することが重要なのです。
この秀作卒論のレベルを笑わないでください。やはり、偏差値の差というものは存在します。それから、「指導教員の力量不足」も否定しがたい所でしょう----なぜ、この文献を紹介しないの? というような。
とはいえ、そう捨てたもんでもないだろう、と私は勝手に思っていますが、専門家の方々から見るとどうなのでしょうか?
そもそも、自分の専門外の時代・地域を扱おうとする学生に対して、どう指導されているのでしょう?
1995-1999年度で上に9名あがっていますが、そのうちの4名が付属高校出身者です。第一(現翔洋)、第五、相模、菅生、とほどよく分散しています。だから何だという訳でもありませんが。